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紐育オウムの隠れ家は、ここにある。

ここからは、本文2に相当する部分です。

 

94年の松本サリン事件直後に偽装脱会し、早々と地下活動に従事した元早川グループ、オウム内部でも存在を知られていなかった元ACIAのメンバー、滋賀県警の押収した光ディスクに名前の載っていなかった特殊任務の信者たち、霜鳥龍二を中心とする一派。彼らは、東京杉並の民間企業を脅し、支配下に置いた。彼らはこの企業の背後に隠れ、警察とマスコミの目を逃れた。そして、強制捜査を前にして、ヤバイ薬物や兵器をこの企業の関連会社倉庫に隠匿した。さらに捜査の手を逃れるため、この会社の社員二人を殺害し、倉庫に放火した。95年の地下鉄サリン事件後、完全脱会を偽装し公安警察の手を逃れた信者たちが合流した。会社幹部と共謀して、保険金殺人で資金を稼ぎ、着々と次の破壊活動の準備をしている。警察官、他の宗教屋、保険屋もぐるになって、おこぼれにあづかっている。

彼らの本拠は、ここにある。この会社の周囲を探れば、覚醒剤もサリンもAK74も出てくる。そして、逃亡信者も。オウム事件の本番は、これからである。

 

 

【なぜ、オウムが関わっていると考えたか? オウムの隠れ家を見つけた。】

これは、私がアーテック入社する前、95年9月まで12年間勤務した企業で起きた出来事です。まず、事実のみを述べます。最後まで読まないと、オウムとの関係は出てきません。

 

【菱垣は、オウムのヨガ道場に出入りしていた。】

菱垣は、ストレスから体調を崩していた。経理の不正を繰り返していれば、心身とも負担がたまって当たり前である。いつ頃からかわからないが、荻窪の自宅と杉並堀の内の会社との通勤途上にあるヨガ道場に通いだした。社員にも道場の話を漏らしたりしていた。このヨガ道場は、ご推察のとおり、オウム主催によるものだった。当時、まだオウムは社会問題化していなかった。いずれにせよ、この道場が菱垣、加藤とオウムの接点になったろう。

 

【ムサシノの技術社員が行方不明になった。】

94年、ムサシノキカイ技術部課長の高杉周一が、突然失踪した。高杉は、関連会社の総武機械(千葉東金)に出張した帰り、行方がわからなくなった。夫人は捜索願を出した。社内では、高利貸しに追われて、夜逃げしたとの噂が何処からともなく流れてきた。誰もがその噂を信じた。確かに、生活は派手だった。外車を乗り回したり、高級クラブなどにも出入りしているようだった。しかし、息子を溺愛する面をもった男だった。彼が、家族を捨て全く音信不通のまま失踪を続けるとは考えにくかった。以来、居所はわからない。生きているのか?

 

高杉には、以前から不可解な噂が付きまとっていた。

100人以上いる社員の中で、ただひとり、経理部に仮払いの形で500万円を超える借金があった。もともと、100万円を超えるような大金の仮払いが許されるシステムにはなっていなかった。他の社員は、せいぜい50万止まりだった。なぜ、彼だけが特別扱いを受けたのか?そんな、金銭がらみの問題を抱えた彼が課長に昇進した時、誰もが奇異に感じた。何か、経理や会社幹部の弱みでも握っていたのだろうか?彼も私同様に経理の不正に気がついていたのだろうか?

 

この時点で、菱垣とヨガ道場のオウム信者との間に接触があったことは時系列的に間違いない。

 

【ムサシノの近所にオウム信者が住み始めた。】

94年〜95年、ムサシノキカイ杉並本社の2軒となりのマンションにオウム信者が居住し始めた。既に世間はオウム騒ぎで持ちきりの頃だった。警視庁の車両が、ムサシノの玄関の近くに四六時中駐車し、私服の刑事らしき人物たちが常時信者を監視していた。社内は、オウム信者の話で持ちきりだった。誰もが額を寄せ合い、噂話をした。この噂話に決して加わらないメンバーがいた。全く意に介さないかのような態度で、オウム信者の居住など一言も触れない連中だった。加藤、菱垣も勿論そのメンバーだった。

 

【オウム信者は、ムサシノの敷地内を徘徊し始めた。】

近隣のオウム信者は奇異な行動に出てきた。サマナ服を着たまま、ムサシノの敷地内に進入を繰り返した。その姿を見つけた社員は、驚きおののき、噂をしあった。しかし、例のメンバーたちだけは、全く気づかぬのか、気がつかない振りをしているのか、反応を示さなかった。既に社会問題化していたオウムが、身分を隠そうともせずサマナ服のまま、近くに居住し、ムサシノ内を闊歩することに何かのメッセージが託されていたのだろうか?それも、ムサシノに対してのメッセージだったのだろうか?

 

【オウムから、会社に電話が入った。】

それより少し前だが、営業部に1本の電話が掛かってきた。相手は、はっきりとオウム真理教と名乗った。応対した渡辺英二営業係長に、信者は機械設備の引き合いを伝えた。液体を入れるプラスチック袋の製造装置の話だった。渡辺係長は、相手が中古を欲しがっていると知り、他社を紹介した。渡辺係長は、興奮気味にオウムの引合の話をみんなにした。例のメンバーは?沈黙のままだった。

オウムの資材調達は、以前からフロント企業を介して行われていた。オウムの名前を出しての商談など皆無だった。なぜ、ムサシノに対してオウムとはっきり名乗ったのか?ムサシノにたいするなんらかのメッセージが託されていたのではないか?

 

【その頃、オウムは強制捜査を目前にしていた。】

話は全く変わる。当時のオウムの状況についてである。

その頃、オウムに対する強制捜査が予測された次期だった。山梨のサティアンにあった化学物質や兵器類の始末に困っただろう。どこか、見つかりにくい安全な保管場所が欲しかったはずである。オウムと全く関わりのないと見られている民間企業の倉庫を使えれば、発覚の恐れは小さくなる。オウムは一体どこに目をつけたろうか?もし、過去に犯罪がらみで手助けでもした企業があれば、今度は、そこを脅して資材を隠匿させることは出来る。もし、相手企業の依頼で、邪魔者を始末してやったような経緯があれば、脅しを掛けられる。オウムお得意の拉致+第7サティアンの焼却炉での遺体焼却を思い出す。

 

【ムサシノの系列工場で、二人死んだ。そして、倉庫が燃えた。】

話は、ムサシノに戻る。オウム捜査花盛りの頃、ムサシノの子会社武蔵野産業の東松山工場・倉庫で3件の特筆すべき案件が発生した。

 

まず、倉庫内で働いていた作業員が、作業用エレベーターに首を挟まれて死亡した。労災事故であった。自宅に夫人を訪ねた加藤は、ムサシノに戻ってきてこう報告した。「今日、通夜に行ってきたけれど、かわいい子供が二人いてね。全く、こんな事故起こしちゃ、やり切れない。」誰もが事故と疑わなかった。

 

次に、同じく東松山の営業職、佐藤梅夫が死んだ。夕食後、急に気分が悪くなり、付き添われて病院に入院した。一週間ほどして死んだ。

佐藤の訃報をムサシノ本社にもたらしたのは、例の沈黙メンバーたちだった。なぜか、興奮したようすが見て取れた。彼の死を報告しに来た武蔵野産業杉並本社の女性社員に、死因を聞いてみた。例のメンバーのひとりであった彼女は、口篭もってよくわからないと答えた。佐藤は東松山でひとりで生活する独身者だった。田舎から兄が駆けつけた。彼に保険が掛けられていたか、受取人が誰であるかは第百生命が知っている。

 

そして、今度はその東松山の倉庫が火事になった。包装材料などプラスチック類の倉庫だった。東松山消防署が駆けつけ、半焼状態で鎮火した。消防隊が帰った後で、再度出火した。そして、倉庫は全焼した。加藤は、ムサシノ本社で「消防署に燃されたようなもんだ。」と語り、再出火が消防署の責任だと強調した。私は、「火災保険で元は取れるんじゃないですか?」と加藤に聞いた。加藤は、とんとんだと答えた。

 

【原因不明の病気になった。会社で出されるお茶がまずかった。】

私の個人的な話である。

94年から95年にかけて、私は原因不明の疾患に苦しんでいた。関節痛やめまいなど、医者も病名を特定できない症状だった。そのうち、奥歯がどんどん欠けてきた。カルシウムが欠損するような病気だったのだろうか?あちこちの病院で、尿検査、血液検査をした。病的な異常は見られなかった。その頃、会社で出されるお茶がひどくまずかった。尿検査、血液検査の検体は最低5年間は病院が保管している。さて、それらに私が何をし、何を発見したか、いつか開示する日がくるだろう。その当時、私に生命保険金が掛けられていなかったかどうか、個人的に調査中である。(ムサシノを退職したら、嘘のように健康になりました。)

 

【オウムは、化学物質や兵器の隠し場所の発覚を恐れただろう。】

話はオウムに戻る。

当時警察のオウム追及は苛烈さを極めていた。サティアンから持ち出した化学物質や兵器類の行方を知られると絶対絶命だったろう。嗅ぎ付けられる前に処分してしまう必要も出たかもしれない。民間企業の倉庫に置いてあるなら、当然一般社員に疑われる恐れもある。勘付いた恐れのある社員を殺すことも隠匿物資ごと倉庫を燃やしてしまうことも考えたかもしれない。

 

【山口敏夫は、その当時まだ東松山のドンだった。】

話は、また東松山に飛ぶ。

東松山は当時の代議士、山口敏夫の地盤であった。山口は、中曽根の配下として、まだ権力の中枢に近いところにいた。その山口は、オウムのスポンサーではないか、オウムの宗教法人格取得に一役買った、オウムとロシア政府との橋渡しをしたと噂された男である。今年になって、実刑判決を受けたことで、カネに汚い奴であったことも判明している。オウムの強制捜査の際には、中西啓介とともにオウムが襲撃を計画した相手でもある。彼とオウムとの関係は95年始めの時点では、まだ報道されていなかった。彼が東松山の人士に持つ影響力は、当時はまだ強かった。警察署も消防署も山口の意向で動かせる立場であった。そして、オウムは過去の後ろ暗い関係をネタに山口を脅して、希望どおりに動かすことが出来たはずである。〔山口とオウムに関する記事はこちらです。〕

 

【オウムは、民間企業という隠れ蓑が欲しかったろう。】

また、オウムの話である。

オウムの偽装脱会者たちは、住居や活動拠点を借りるのにも苦労しただろう。オウムと解れば、誰も貸してはくれないし、借りられたとしても公安警察にも付回される。表面上はオウムとわからない形で拠点を手に入れる必要があったろう。素性のはっきりした、オウムと接点があるとは見られていない民間企業が借り手であれば、どこでも簡単に借りられる。その拠点で、偽装脱会信者が何をやるだろうか?保険金殺人組織の事務所?保険加入のためのダミー会社?いろいろあるだろう。

 

【杉並、羽村、東松山】

今度はムサシノの話である。

ムサシノキカイの本社は杉並にあり、主力工場は、東京都羽村市にある。杉並も羽村も、このホームページのどこかで出てきた地名である。

 

【オウムの覚醒剤は?AK74は?どこにある?】

そして、オウムの話である。

サティアンにあった筈の覚醒剤の在庫はどこに行ったのか?70トンあったサリンは、加水分解して処分したと信者が自供しているが、本当なのか?まだ、どこかにあるのではないか?密造した機関銃の部品は、ダムに投げ捨てたと報道されている。本当か?どこか安全なところに隠されているのではないか?それらを隠匿しているとしたら、目的は何か?

 

【ムサシノの経理不正を見つけた。】

私は、95年9月、ムサシノ経理の不正に気がつき、菱垣らを厳しく追及した。その過程でほかにも経理犯罪に関与している者がいることもわかってきた。それらが、例の沈黙のメンバーと一致した。菱垣らは証拠を隠滅し言い訳を用意していた。檄高した私は、社長の河野に辞表を叩きつけた。しかし、その時点ではまだ加藤がメンバーの首謀者であるとの認識はなかった。彼のことだけはまだ、幾分か信じていた。

加藤は、私を応接室に誘いおもむろに切り出した。

「君も会社を辞めたら生活に困るだろう。いい方法があるから教えてあげるよ。医師の診断書があれば、健康保険組合から傷病手当金が出るんだよ。」私は、どこも悪くないので受給資格がないと答えた。

「そこのところは、何とでもなるんだ。例えば、精神疾患だったら問診だけで診断書を出してくれる。私の知っているこの病院の医者が、便宜を図ってくれるから、行ってみたらどうかな?」加藤は、用意していた世田谷の病院の資料を提示した。私は、黙っていた。すると、「いや、別にこの病院でなくても構わない。君の知っている病院でもいいんだ。それに、この病院が診断書を出すんじゃなくって、ここから別のところを紹介してくれるんだよ。」さっきとは話が違ってきた。加藤は「この病院じゃなくてもいい。」と繰り返した。私は、高校時代の友人が医者だからそちらで相談すると答えた。

この会話の後、加藤に最寄のレストランに誘われた。加藤とふたりでレストランに向かう坂道を登って行った時、行く手を遮った男がいた。加藤の次男、私の同僚の営業部員だった。次男は、加藤をものすごい形相で睨め付け、肩を怒らして無言のまま立ちはだかった。加藤は舌打ちをした。

加藤が経理犯罪の首謀者であると判った時、病院紹介の意図がなんであったか、おぼろげに解って来た。加藤の次男が、親父の犯罪の概要を知っている。

 

 

さて、この文章をどう解釈されるかは、個々の資質の問題でもあるので、とやかくは言いません。私自身はこれらの出来事から、いくつか報道されていないオウムの隠し事を見出しました。お読みいただいた方のうち、何人かもこの内容から重大なメッセージを受け取ると思います。保険金殺人どころの話ではないとご理解されると思います。もっとも、大半の方には、例によってただの妄想の塊にしか思えないとは思いますが。また、この文書を今日まで公表しなかったのは、公表することで犯罪に関わった連中が証拠を隠滅し、逃亡する恐れがあったからです。その危険は今も同じです。しかし、警察と犯罪組織との癒着を考えると、むしろ公表した方が、彼らの動きを封じ込められると考えるに至りました。焦って、ヤバイものを移動すれば、かえって人目につくし、周りの誰がこのホームページを読んでいるか解らない。社員をつくろって勤務していた脱会信者らが、急に居なくなれば一般社員が疑念を持つ。だから、大っぴらな隠蔽を出来ない事態となると考えました。ムサシノあたりは、所詮犯罪の素人ですので、不正経理の証拠となる書類の持ち出し、隠蔽を図るでしょう。むしろ、その行為が犯罪の証拠になることも考えずに。

もはや公安警察、マスコミに任せておいても、彼らを検挙することは出来ないと思います。

 

ネットで彼らを追い詰め、自滅させます。

 

何故、私がムサシノ、アーテックととんでもない会社に立て続けに勤務したのか、疑問に思われると思います。ふたつの可能性があると思います。

 

1)ムサシノを退職して、自宅にいた私に電話をかけ、就職を打診してきたのが、アーテックの片山だった。ムサシノの時に片山と仕事上の付き合いがあったが、「ムサシノに電話してみたら、退職したと言われたので、自宅に電話してみた。」由。ムサシノとアーテックの背後にいる組織が同じであるとすれば、ムサシノをやめた私を野放しにしておくのは危険と考えたろう。私をどこかに就職させ、監視体制に置きたかったのではないか?それを片山が引き受けたのでは?監視していて、特に変な動きもしないので、安心して保険金殺人に手を出したのではないか?

 

2)全くの偶然。

 

上記のどちらかだと思います。

 

【その後....final_doc.5】

 

犯罪者集団との直接の接触は、99年11月に終わった。以後、私はこの事件の分析に取り掛かった。一体どんな連中が背後にいるのか、皆目見当がつかなかった。もともと、社会情勢にあまり興味のあるほうではなかったし、オウム事件では、ただのミーハー的傍観者でしかなかった。だから、ゼロからの勉強だった。インターネットで、あらゆる情報を集めてみた。オウムと関わりのあるほかの組織をざっと調べてみると、大手マスコミからは殆ど報道がなされていなかった。しかし、それでも断片的な情報の中から、統一教会、創価学会、暴力団、ロシア、北朝鮮、そして政治家が浮かび上がってきた。それぞれがどんな形で、オウムと関わってきたか調べてみた。背後に容易ならぬ力関係があること、一連のオウム事件をオウム単体による犯罪であるとの結論を作り上げ、幕を引こうとした連中がいることが見えてきた。私の扱っている、この保険金事件にも同じ連中が背後にいるのではないかと思った。

それぞれのテーマについて、本事件との関連付けの中で、どのような分析をしてきたかご一読いただければ幸いである。既存のマスコミの記事では分からないような、驚愕すべき事実も発見できるはずである




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