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山口敏夫と紐育オウム真理教

ジャーナリスト、ジャック・アマノ氏の記事です。日本の大手マスコミは絶対にこういう記事は書かないでしょう。中ほどに山口に関わる記述(赤字)が出てきます。そして、山口以外にも、オウムとの関わりの発覚を恐れる有力政治家がいることが示唆されています。オウムの真相究明が徹底しなかったのは、それが原因です。

 

赤い龍に入れ

日本の政治家はクレムリンに浸透するため、どのようにオウムを使ったか-- Jack Amano

「見よ、火のように赤い大きな龍である。これには7つの頭と10本の角があって、その頭に7つの冠をかぶっていた。龍の尾は、天の星の3分の1を掃き寄せて、地上に投げつけた」——ヨハネの黙示録12:3-4

 

「まだこれは現象化していない。つまり、ハルマゲドンのところに召集してはいないからであ る。……例えば、この3つの霊、つまり龍、獣、そして偽予言者と。これは何を表わしているんだろうか。龍は皆さんもご存じのとおり、当然ロシアを表わして いるはずである。獣は先程述べたアメリカである。では、もう一つの偽予言者とは何か。これはイスラム圏である」——麻原彰晃、1991年11月9日。『日 出づる国、災い近し』オウム出版、1995年より

 

1991年10月23日、麻原彰晃、すなわち松本智津夫、オウム真理教のグルは、新約聖書を 読んで宣言した。「わたしはここに、わたしがキリストであると宣言する」 麻原の信仰は、チベット密教、ヨーガ、シヴァ信仰の折衷的混合であった——しか し、キリスト教徒として生まれ変わることは、グルの信者を驚かせる飛躍であったろうと思われる。しかし、オウム信者はなぜ誰も、麻原の突然の主要な信仰 が、獣・アメリカではなく「赤い龍」ロシアに転回したことについて、教義的疑問を持たなかったのか? なぜハルマゲドンについての新しい教義を素直に受け 入れたのだろうか?

 

おそらくそれは、グルの精神的再生の背後に、純粋に実用的な動機があったからだ。オウムはロ シアに目を向けていた。1992年3月、麻原と妻の知子、300人のオウム信者は、ロシアとCIS諸国でのオウムツアーを開始するためにモスクワへと飛ん だ。二度目の訪問は、クレムリンへアエロフロートで訪れた。

 

157ページの『キリスト宣言』という本は、奇跡的な聖書購読のあと一か月かそこらしかかか らずに翻訳出版されたが、ここで麻原は、聖書、特にマタイによる福音書の記述と、仏教経典、特に阿含経との概念の橋渡しをしようとした(テロリストの脅 威、オウムと阿含宗の記事参照)。この本は、明らかに、三年のうちに三万人の信者となった潜在的ロシア人信者を引きつける入門テキストとなった。新約聖書 に対する深い洞察の麻原の宣言にも関わらず、ロシアへのオウムへの浸透が始まっていた。メシアであるという宣言書と、裸の麻原が十字架に架けられている表 紙絵は、大量の破壊兵器を赤い龍から手に入れるための予想された計画の一部にすぎなかった。

 

1990年秋、オウムの建設大臣にして武器購入の長である早川紀代秀は、東京のロシア大使館 職員をもてなした。早川は、1991年1月、21回渡航することになるロシアへの最初の訪問を行なった。同年12月、早川はボリス・エリツィンの最も近い 親友であるオレグ・ロボフを紹介された。ロボフはそのとき露日大学の学長であった。

 

オレグ・ロボフは重要である。のちにエリツィン政権の安全保障理事会議長となったからだ。これはロシア最高意志決定機関であり、アメリカ大統領の国家安全保障顧問と同じ地位を保っている。露日大学は、二つの理由で重要である。

 

1)オウムはこの大学への願書を使って、勧誘と軍事スパイ活動の目的のためにロシアの科学者を狙った。

 

2)大学の資金的後援は、日本の官僚と自民党(と新進党)の最高級の人物をオウムと紛れもなく結びつけている。

 

龍の歯:昨年、ほとんどの東京ベースのジャーナリストは、日本での急激な拡大、ロシアトップ官僚と軍事施設への接近、かつて10億ドル(1000億円)と見積もられていた資金源についての疑惑を口にしていた。

 

これらの疑惑は、サム・ヌン上院議員が議長を務める合衆国上院常任調査小委員会によって明らかになった結論によって増大した。ヌン上院議員がロシア、ユーゴスラヴィア、オーストラリア、日本その他の国々に派遣した調査官たちは、最悪のおそれを報告した。

 

オウムが露日大学申込書を使用したのは、多くは軍事関連分野の研究に携わっている物理学者、化学者、生物学者を選択的に募集するためであった。

 

ロシアで募集された中には、研究所の広報官であるアンドレイ・ガガーリンスキーによると、ロシアの最先端核研究機関であるというクルチャトフ協会のトップ研究員と数人の従業員が含まれていた。

 

早川紀代秀はプラズマ兵器研究のためのガス・レーザーの購入を試みており、ロシア軍事基地でオウム信者のためのヘリコプター・パイロット訓練と軍事教育を行なおうとしていた。

 

朝日テレビによると、早川は、化学兵器専門家を募集しようとし、適切な経験のある産業技術者を見つけることに失敗し、上級技術者(その教え子の一人は、日本に送られて某研究所で働いた)を勧誘するためにヴォルヴォグラードの神経ガス工場に行った。

 

国会の元広報官、ルスラン・ハズブラートフは、オウムがミール17ヘリをアゼルバイジャンからの空輸で東京に運ぶように手配した。ヌン・レポートによると、そこで関税を通過した。

 

オレグ・ロボフは、50万ドル〜1億ドルをオウムから支払われた。

 

1995年11月に「自動車事故」で突然の事故死するまで、ロシアでのオウム調査を率いた国会宗教問題委員会の委員長ヴィタリー・サヴィトスキーによると、オウムの活動はロシアの諜報機関に支援されていた。

 

オウムの武器商人によって書かれたいわゆる「早川ノート」は、核弾頭、陽子弾道弾、ガスレーザー、軍隊輸送機、上陸船、自動兵器を購入しようとしていたという記述がある。

 

政治的な後援者:明らかに、ロシアでのオウムの活動は、熱狂的教団の単純な活動ではなく、ロ シアと日本の諜報機関と高位高官によって組織された隠された作戦の一部である。誰が日本でのオウムの後援者なのか? 元自民党内閣の大臣浜田幸一は、二人 の政治家を名指しし、不明の一人について言及した(噂によれば、その二名は、元科学技術庁長官と民社党タカ派だという)。

 

一人とは石原慎太郎。『ノーと言える日本』の著者で、「青嵐会」と呼ばれる反中国議員保守団 体の元の頭であり、日本の再軍備支持者である。『ノー』で、石原はロシアとの先端技術同盟を訴え、それは日露科学技術協力協定によって実現された。彼は、 東京都庁におけるオウムの宗教登録の後援者として非公式に名指しされたあと、議会を辞任した。

 

名指しされたもう一人の政治家は、山口敏夫で ある。オウム事件の背後での立案者であり、石原よりも大きな役目を果たしたようにみえる。やせた5フィート4の小さな人山口は、日本の外国諜報機関の 「M」というより、小悪魔のように見られている。スパイ業は、ありそうもない人物をひきつけると知られている。

 

元首相中曽根康弘の親友にして子分である山口 は、自民党外事委員会の指導的人物であった。その権限で彼は露日大学を設立し、これが自民党とオウム真理教をまぎれもなく結びつける機関となった。フォー カス誌によると、オウムの諜報省長官井上嘉浩が山口を尊敬していたという。井上は、山口を軍事クーデター後の滅亡の日の政府の首相に据えようと計画してい たという。これほどその関係は密接であった。

 

長く、輝かしく、そして時期尚早に終わった政治的経歴のあと、山口敏夫は、現在、かつて高橋治典が経営していた共和・安全信用金庫からの資金を使い込んでいた容疑で、警察の保護下にある。元防衛庁長官中西も、この堕落したトロイカの一員であった。

 

中曽根内閣の元労働大臣として、山口は、労働 大臣の認可が必要な職業斡旋会社だったリクルートから株式贈与を受けていた主要人物の一人であるが、その関与に関して起訴されなかった。安全・共和信用金 庫スキャンダルが日本で徹底的に報道されていたとき、どの主要メディアも、山口の兄弟によって管理された使途不明金について——あるいはリクルート疑惑で 彼が以前に得ていた不正利得や、元労働大臣関係資金がオウムの資金に転用されたかどうかについて——はまったく調査しなかった。リクルートの支払いは、山 口が労働大臣だった1985年から、オウム真理教が宗教法人認可を得た前年の1988年に行なわれている。

 

警察捜査官と議会秘書がすべて、山口がオウム の後援をしていたことを知っているのに、東京都検察庁は今月、東京地下鉄毒ガス事件の一周年をまえに、オウム事件全体を調査終了すると決めた。なぜ山口は オウム事件について起訴されないのだろうか? おそらく、彼の起訴から政治的に波及するならば、数十人の最高級の官僚と政治家の没落、不名誉、刑務所入り が導かれるからだ。そのなかには、最低一人の元首相も含まれている——山口の派閥の長であり指導者が。

 

オウム・自民党のコネクションを知っていたと思われる政治家・官僚は誰か? はじめに、露日大学創設を見る必要がある。

 

満州コネクション:大学は栄光のグラスノスチ時代の産物である。具体的にいうと、ミハイル・ゴルバチョフの諜報部長官イェフゲニー・プリマコフと、長老政治家中曽根康弘が、1988年7月、モスクワでの会談で日露科学技術協力の基礎を築いたのだ。

 

しかし、オウムのロシア浸透の起源は、もっと古い時代にさかのぼる——1930年代の満州 国。このとき、不安な平和がソヴィエトと日本の諜報機関のあいだに、デ・ファクト(既成事実)の協力が保たれていた。地下鉄毒ガス事件後、外国人記者のな かには、満州国、その不名誉な731細菌兵器部隊、オウム真理教の生物化学兵器とその抗毒素についての研究とのあいだに歴史的つながりがあるのではないか という可能性を調べた。研究所で作られた未来兵器と「最終戦争」理論の強調は、すべて、1930年代、日蓮の熱狂的信者で関東軍の満州国奪取計画者である 石原完爾によって考案されたものだ。

 

そこにはコネクションがあった。岸信介と李香蘭。満州国の、最も傑出した二人の生存者。

 

毎日新聞と密接な関係のあった年輩の自民党政治家・安倍晋太郎は、満州経済を建設した元首相・岸信介の義理の息子である。

 

国会議員大鷹淑子は、芸名の李香蘭で知られている満映の魅力的で有名なスターにしてスパイ、 満州国の体現化であった。大鷹は、1991年1月13日のモスクワへの自民党事前使節を率いた安倍に随行した。露日大学は、この使節で最初に、中曽根派の 代表として山口敏夫によって提案された。会議は大集団セッションとして開かれ、他の随行員たちは双方の大学提案を知っていたはずなのだ。そこにはこの人々 がいた。小渕恵三(竹下派)、山口(中曽根派)、元農林水産大臣加藤六月(安倍派——この二月に肺の動脈破裂で急死)、葉梨伸行(宮沢派)、伊藤宗一郎、 参議院議員大鷹淑子、大木浩。

 

このツアーに含まれていた高級官僚:兵藤長雄(外務省官房総括審議官ロシア・ポーランド専門家)、東郷和彦(外務省ソ連課長)。モスクワ大使はえだむらすみおであった。

 

ミハイル・ゴルバチョフは、安倍に、その提案の一覧について考えると約束した。肯定的な答えは、1990年9月5日、当時のソ連外務大臣、エドゥアルト・シュワルナゼとともに東京に到着した。

 

翌日のジャパン・タイムスの朝刊では、こう述べている。「日本の議員山口敏夫によれば、日本 とソ連は、モスクワ郊外に、私的技能と技術についての大学を共同設置しようとしている」さらに「ソ連と東欧の学生が、約6か月間、日本の企業で実用的な訓 練を受けることになるだろう」

 

その後援会社の一つは、貿易会社の日商岩井であることがわかった。これは、1992年の初期 に、日本にオレグ・ロボフを招待している。この訪問で、ロボフは、麻原に紹介された。なぜロシア人は日本の仏教教団に心から挨拶したのか? 金、それが一 つ。技術がもう一つである。ロシアは日本の高度先端技術が必要であった。東京は、ロシアの核・軍事技術を求めていた。さらに大きな地政学的動機として、東 アジアにおける新しい安全保障配置についてのゴルバチョフ・シュワルナゼ計画(エリツィンも採用)があった。ロシアは、そのアジアの属国——ベトナム、北 朝鮮、モンゴル——に日本の投資をさせ、その代わりに、日本が合衆国との安全保障関係を弱めるよう期待したのだ。しかし、その目的は、あっけなく、中国の 抑制によって断念された。合衆国は「チャイナ・カード」をちらつかせ、ロシアと日本(とロシアの兵器を釣ろうとしていた台湾)は、中国拡張を制限するとい う共通の利益を有していた。

 

誰が、何のために?:毒ガス攻撃の別の見方として、宗教テロの不合理で時期尚早の行動としてではなく、ロシアと日本と台湾の間での、おそらくは核兵器とそ の技術についての、増大する武器貿易を制止するための、冷たい、意図的な試みの一部であるという見方がある。オウムは、あまりにも多くの微妙な技術がアジ アのバランスを崩す前に止められる必要があった。合衆国上院調査のロシアでの報告によれば、この見方のほうがよく理解できる。

 

北朝鮮は計画の鍵となる要素だった。1990年はじめに安倍使節がモスクワに到着した数日 前、自民党の実力者金丸信が、自民・社会合同代表団を北朝鮮に導いていた。アエロフロートのチケットでは、早川紀代秀は17回平壌に行っている。中国を含 む日露計画は、一つの支障を除けばうまくいったかもしれない。北京(中国との国境対立は90年代初めに噴出していた)とロシアの前身に対立していた北朝鮮 の老齢の指導者金日成は、1994年春まで、頻繁に入院していた。

 

1994年6月までに、ロシアに病的嫌悪を抱いている息子金正日(父の前妻の一人がモスクワ に住んでいて、その異母兄弟を育てていた)は、すでに北朝鮮軍の軍事司令官であり、いまや、ベッドの上の父とともに、行動の自由を得ていた。北朝鮮はその 対外関係において急展開しようとしており、平壌は高度な秘密情報を北京にもたらしていた。

 

1994年6月に起こった長野県松本での神経ガス攻撃は、金日成が死の床に横たわっているときであり、まもなく、上九一色村のオウム施設の近くで奇妙なガス噴霧が続いた。それから1年たって、地下鉄毒ガス事件が起きた。

 

オウム事件全体を再び開くために、疑うべき十分な土台がある。決してオウム裁判に使われな かった裁判所と化学的証拠は、国際的な調査委員会に示される必要がある。そして、すべての証拠と容疑者は、信用できる国際的専門家たちの面前で証言するた めに召喚されるべきである。そのときにのみ、私たちはオウム事件の底を見ることができる。その手始めに、議会はモスクワへの安倍使節に参加した全員から証 拠を請求すべきだ。

 

現代日本は、政治的都合によるつるし上げ裁判の野蛮な歴史を有している——無政府主義者公徳秋水の不敬罪事件から、松山事件における国労リーダーに至るまで。歴史は繰り返す。

 

ジャック・アマノは東村山を拠点とするベテランの調査ジャーナリスト。




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